着色する記憶



残業で遅くなり、家に帰って軽く飲みたくなり、ふと何もつまみが無いことがある。そんなときは二階にいる高校生になった長女に「スルメを焼いてくれ」とメールを入れる。長女は二階から下りてきて魚ひろばで5枚千円で買っているするめをがさがさと取り出し、文句も言わずに焼き始める。自分も食べたいからだ。娘はスルメを焼くのが上手い。軽く水を掛け、塩を振ってから焼いているようだ。そして焼き上がると七味唐辛子とマヨネーズを盛った小皿と共に、スルメを持ってやってくる。十本の足と頭の三角の部分を引きちぎると、残ったボディの部分のみ私に寄越す。

なにか釈然としない感じもするが、焼いてもらっている手前、文句は言えない。

最近は娘と今春入学した高校の話をよくするようになった。私が色々尋ね、娘が答える。通学電車の様子や、新しいクラスメートの様子、同じ中学だった友達の事、授業の感じ、校舎の様子。

その高校は私の母校でもある。ずいぶんと変わったのだろうと思っていたら、話を聞いているとそうでもない。というか、全く変わっていない事に気づく。未だ伝統のある校舎や体育館、武道場は27年前のまま健在らしい。話をしているうちに、忘れていた想い出がモノクロームで徐々に甦る。

運動場のレイアウトや、下駄箱の位置、校門から登る坂道、音楽室の場所、理科室のある古い校舎、職員室の前の芝生。驚くほどそのままである。でも甦った記憶の中の色情報は抜け落ちていたままだった。

ところが昨夜、体操服にゼッケンを自分で縫いつけていた娘が、ゼッケンの位置を気にして嫁さんにどんな感じか尋ねるため居間に降りてきた時のことだ。パジャマ姿に体操服の上を着たままだったのだが、その格好の娘を見た瞬間、高校時代の記憶が色を付けて甦る。

学年毎に色分けされた体操服、自分が新入生の時は確か紺の体操服を着ていた。そして、娘はその当時三年生が着ていたえんじ色の体操服を着ていたのだ。どうしようもない懐かしさがこみ上げる。嫁さんと娘に悟られないようにちらちらと盗み見る。左腕の校章、文字は歪んでいて縫い目の不揃いなゼッケン。私よりずっと長い脚にどこかアンバランスな体操服姿。懐かしさと切なさで思わず目が潤む。

大きくなってくれてありがとうな。