郷愁の記憶

私の掲示板に以前こんな投稿がありました。九州の わたるくんの投稿です。ログが流れて消えてしまう前に、ここに書き留めておきます。

もとさんこんばんは〜♪ヘ(^o^)/ こんな歌ご存じですか?

タン・タ・タンタ・タン・タ・タンタ
ロバのおじさんちんころりん。
年から年中?パン作り〜♪
あんパンジャムパン。甘くて美味しい如何です〜♪
チョコレートパンにあんパンも〜
何でもありますチンコロリン♪

ロバのパンの思い出は、子供のころ貧しかったから食べた記憶がない・・・?でも一度だけ食べたような気がするんだけれど、ほとんどふかしパンでその中にチョコやあんにジャムが入っていたと思います。
当時のお小遣いは10円でした。それでチロルチョコやラーメン菓子にアイスキャンデーとか一個1円のキャラメルが買えた。(森永や明治ではない!)
懐かしついでに「渡辺のジュースの素」ご存じですか?テレビでも宣伝していたよ!(5円だった?)なめると舌に色が付く安物のやつもあったりして・・・(^_=) 当時問題になった甘味料チクロ?
チロルチョコって全国にあったんだね!筑豊田川市にある松尾製菓て会社だよ。当時は三段で中身はヌガーだった。。。
お菓子が専用のケースから出してグラム売りしていたのが、袋に入って販売し始めたのはいつ頃だったかなぁ。(´。`)
あと給食に出ていた肝油ドロップが美味しかったな♪ 夏休み前になると缶でみんな注文していたよ!
あと私がまだ物心付いた頃?に炭鉱住宅街にポンポン菓子のおじさんがやってきていました。お米と砂糖も?を持っていくと、ポーンと大きな音を立てて出てきていたような気がします。
流行は終わっていましたが、フラフープ&だっこちゃんを持っているお姉ちゃんがいました。男の子で流行っていたのはパッチン(メンコ)&ピー玉。

私のレスもついでに。

わたるくんさん、こんにちは。今回はノスタルジックですね。
佐世保の扇平炭鉱の社宅で生まれ、閉山とともに集団で愛知に何も持たずに出てきて(私はまだ赤ちゃんでした)、ワイヤー剥き出しのプレハブ小屋で育った頃の記憶が甦ってきます。
ロバのパンは岐阜が発祥ですね。食べた記憶は無いです。チロルチョコは当時は今の三倍ぐらい大きかったですね。そうそう、キャラメルみたいなのが入っていました。渡辺ジュースの素は大きな袋で買ってあった気がします。当時のジュースは貴重品でしたからね。肝油ドロップは記憶から抜け落ちてますね〜ポンポン菓子はよく見かけました。ワラビもち売りに押されるようにいなくなりましたね。あとお菓子で記憶があるのは、もちろん駄菓子屋の何で出来ているか分からないお菓子や、「ポンカン飴」「しるこサンド」「東鳩オールレーズン」(リッチ!) 「ライダースナック」「都こんぶ」「クッピーラムネ」コカコーラのホームサイズ(500mml)を一人で飲んでみたかった。
ビー玉や陣取り(三角形で陣地を増やす)はよく遊びました。暗くなっても家に帰りたくなかったなあ。あの頃は。そもそも家に帰っても何も無かったもんね。

この頃の思い出はストリートというか、路地裏や野山に感覚が直結している気がします。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚が一体となって文章からよみがえる感じは一種独特ですね。感覚がどこまでもどこまでも五感を伴って連想的に甦ってきます。なぜこんな色々なことを人間は記憶しておけるのでしょうか。きっと、頭の中で無意識のうちにしっかりメインテナンスしているのでしょうね。