メカニカルカメラが好き

機械式のカメラの最大の魅力は、手に取ってみるとよく分かる。精密機械には心がこもっていて金属の質感は手に良く馴染む。コーティングされた金属は色褪せず、傷さえも風格となる。つまり、いつまでも新鮮だと言うことだ。

最新のデジタルカメラが、買った瞬間から陳腐化していくのとは対照的だ。機械式のカメラは、程度良く保存すれば、ほぼ買った値段で転売できる。最新式の一眼レフタイプのデジタルカメラは一年後には二束三文の価値しかなくなる。つまり、デジタルカメラはまだまだ完成品ではないということだ。車一台買えそうな値段であるにもかかわらずだ。

古いメカニカルカメラにこだわるのには他にも訳がある。フィルムカメラであっても、最新式の一眼レフには興味が無い。あんな親切の押し売りの固まりのようなカメラを手にしたくはない。電池や液晶モニタや撮影モードなど無くても、フィルムを巻きあげシャッターをチャージして、シャッターをレリーズすれば写真は撮れるのだ。

それに、山に登った時など、電池が使えない電子式カメラはただの重りだ。煩雑なコードや充電パック、画像を保存するメモリなどに気を使うことは絶えられそうにない。低温の冬山で、湿原など多湿な場所で、単体で長時間活躍するシンプルなカメラが必要なのだ。

さらには画質の問題がある。どんなにCCDが高性能になっても、光の波長と、CCDのサイズが起因する光の回折現象はいつまでもついて回る。しかも、剥き出しのCCDは埃に弱い。だが、コーティングすると画質は低下する。

そして、デジタルカメラで撮られた絵は、カメラメーカー技術者の作ったプログラムによって補正された絵で、虚構の絵だ。皮肉にも演算処理をすればするほどオリジナルからは離れてゆく。どんなに補正をしても、フィルムの乳剤の分子の一つ一つを直接光によって化学反応させるしくみにはとうてい追いつけないであろう。デジタルカメラには気に入らないとすぐに撮り直せる利点があると言うが、被写体に対して、やり直しが効かない一瞬の勝負を見つめた方が潔い。

ピントももちろんオートフォーカスではなく、ファインダースクリーンでピントを追い込むマニュアルフォーカスだ。オートフォーカスの方が、失敗が少なく、動きのある被写体には強い。だが、ただそれだけの事だ。自分の指でスクリーンに被写体が合焦したときのカチンとした感覚が好きなのだ。その瞬間頭の中で被写体の立体像が形造られる。それは写す楽しみに直結している。そのためのマニュアルフォーカスだと思う。

こんな考えは少数派だろう。世の中は圧倒的にデジタルシフトが続いている。でも、これは好みの問題であり、もちろん他人に押しつけることもない。たぶん生き方の問題なのだろう。